FC2ブログ
ハロゲンくん・気まぐれ写真日記
身近な鳥を中心にした自然観察ブログです。
201909<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201911
小田原城
昨日の続きです。
熱海の翌日は、小田原城へ行ってみました。幸い台風18号の影響は少なく朝には雨が上がり晴れてきました。

(1) 小田原駅に着いた時は、雲一つない晴天。 駅は大きく立派。
P1030807.jpg



(2) 駅から徒歩10分程で正面入口へ
P1030810.jpg



(3) お堀には、カルガモの群れ、水浴びしているものもいました。 コガモなどの冬鳥として渡ってくるカモはいませんでした。
P1030811.jpg



(4) アオサギが浅瀬で採餌中。
P1030809.jpg



(5) 瓦屋根の上に白っぽい鳥、カモメ科と思ったらドバト。
P1030816.jpg



(6) 本丸跡の広場へ出たら、小田原城を背景に記念写真に納まる女性陣、いつの時代の衣装でしょうか?
P1030822.jpg
女性は、中央の案内の方を除き、外国から来た方の様に見えました



(7) 男性は、忍者や鎧兜の格好で嬉しそう。 近くにSAMURAIKANという衣装を貸し出すところがあります。
P1030824.jpg



(8) 天守閣に登り、本丸を見ると、団体さんが城を背景にして記念写真を撮っていました。 ここでも女性陣が多かったです。
P1030827.jpg



(9) 小田原攻めの際、秀吉が築いた所謂「一夜城」、正式には「石垣山城」は白い建物の後ろの山に築かれたそうです。
P1030831.jpg



(10) 天守閣から本丸方面を見下ろしたところ、相模湾は直ぐ近くと分かります。
P1030828.jpg

なお、参考までに、小田原城の歴史についてHPから引用します。 長文ですがご容赦ください。
『小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台(八幡山)に築いた山城でした。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。
貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。
小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体されました。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年には、二の丸に御用邸が建てられました。しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。
その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門が、平成9年10月に銅門、平成21年3月には馬出門が完成しました。
小田原城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。』

今回、初めて小田原城を訪れ、その歴史に触れられることができ有意義でした。

最後までご覧頂きありがとうございます。

↓ いつも応援頂き感謝いたします。
スポンサーサイト



copyright © 2019 Powered By FC2ブログ allrights reserved.